2007/02/26

嫌われ松子の一生 <2006/日本>

嫌われ松子の一生 <2006/日本>

★★★★★★★★★☆ (9points)

悲しい話を悲しく描くなら小学生にでもできる。悲しい話を可笑しく描くなら中学生にでもできる。悲劇や悲喜劇へと安易に回収されてしまうことを徹底的に拒む、そんな奥行きのある物語は中島哲也にしか撮れない。

すばらしい!もう何回言ってもいいけど、すばらしい!!

ここ10年の邦画の中でも1,2を争う超名作。もう奇跡でしょう、これは。

でもどうも一般の評価は芳しくないみたいね。いわく、「泣くに泣けない」「笑うに笑えない」。正直、アホか、と思う。どっちに転んでも、この映画、なんの価値もなくなっちゃうじゃん。

思うに。

”悲しい物語にポップな絵を乗せた”のは、わざと。映画が安易な涙(による安直なストレス解消)へと収束化してしまうことを拒絶せんがため。この意味で、映画が悲劇へと回収されてしまうことを否定する。

また、”悲しい物語にポップな絵を乗せて展開する物語の終点に圧倒的な悲劇を持ってきた”のも、わざと。悲しい話を笑いながら消費してしまう安直な悲喜劇に対する否定。観た後に何も残らない「ちゃんちゃん♪」を拒否する。

だから、観客は取り残される。なんとも言えないいやぁな感じが残る。泣けず、笑えず。「だから何?何が言いたいの?」ってどうしても、言いたくなる。

でもさ、”泣けるだけの人生”やら”笑えるだけの人生”なんて、そんなもん、ないでしょう。そして、何を言いたいか、そのメッセージがはっきりしてる、そんな人生なんて、あり得ないでしょう。人の人生は他の人に対して、何とも言えない白黒がはっきりしない曖昧な意味を持ち、人はそれを自分なりに咀嚼して咀嚼して、いい意味でも悪い意味でもそこから学んでいくんでしょう。

その意味で、人の「一生」を描くとしたら、この方法しかないんだよ。もちろん、その”適切な”描き方は今の時代の期待値に合致しないかもしれない。でも、その描き方以外のどの方法も、全てどこか安易な割り切りを前提とする。

難しい道を選択し、それを形にした、中島哲也に最大級の賛辞をおくりたい。