2006/12/29

隠し砦の三悪人 <1958/日本>

隠し砦の三悪人 <1958/日本>

★★★★★☆☆☆☆☆ (5points)

結局、武士かよ…。

↑の一言に尽きちゃってます。私の感想は。

黒澤明作品の中でも1、2を争う駄作、だと思う。

勝手な想像をするに、本作の位置づけは完全なる「娯楽作品」。当時の評価もそうだったみたいだし。現時点での皆さんの評価も「娯楽作として1級品」やら「とにかく痛快っ!」ってな線ですよねぇ。私が見ても「娯楽作品」を狙ったんだろうな、とは思う。

でもね。

これ「娯楽」かぁ~?

楽しいかぁ?

正直私には全く楽しくなかった…。

そりゃね、三船敏郎も格好いいとは思うしさ、藤田進も渋いと思うよ。でもさ、庶民な私は格好よすぎる三船敏郎になんぞ、まるで自己投影できないわけですよ。だって、はなから違い過ぎるもの…。

ってことで、しょうがなく、藤原鎌足と千秋実のトンチキ農民コンビの視点で見ちゃうわけですけど、そうするとさ、本当に、ほんとう~に、この映画、不快…。

だって、この2人の描かれ方って、なんの救いもないじゃん…。最後まで強欲一辺倒よ…。

武士と農民。その身分的な格差。そして、身分的な格差の違いが固定化されることによる(つまり育ち方が全く異なることに起因する)、精神的な格差(気位の格差と言ってもいい)の再生産。そして、その再生産に起因するさらなる身分的な格差の強化…。

そんなことを今の時代状況に重ね合わせて考えちゃうわけですよ、ついつい。そんなこと考えつつこの映画観ること自体、野暮だと重々知りつつも、どうしても鑑賞中そのことが頭を離れない…。ハぁ、農民はますます農民になり、武士はますます武士になるのね、って。

そんなこと考えちゃってる状況で、その映画が「痛快娯楽作品」足り得るわけない…(少なくとも野暮なわたしにとっては)。

※ただし今回のわたしの感想はつい先日、溝口健二の「雨月物語」を観ちゃったことにもろに影響されてる可能性あり。あの映画では、主人公の農民2人もこれでもかってくらい強欲で野暮でだらしないんだけど、それに並ぶくらい、つーか、輪をかけて、武士が強欲で野暮でだらしない。その時代なんて全く知らないけど、今から勝手に想像するに、その描き方の方がよっぽどフェアだろうな、とわたしは思う。