秋刀魚の味 <1962/日>
秋刀魚の味 <1962/日>
★★★★★★★★☆☆ (8points)
人と人の間にある距離感の妙。
お恥ずかしい話ながら、これが小津安二郎初体験。テレビで放送されているところを何度かは見たことはあるけれど、それもあくまで、チラ見レベルで、きちんとしたかたちで見るのはこれが一本目。
坦々と進む物語、抑揚のない演技、絡まり合うようで絡まり合わない一定の距離感を保った人間関係。
その全てがとても新鮮。
特に、そのセリフ回し。
「よかったねぇ→よかったよぉ」「そうでしょぉ→そうだねぇ」的なコミュニケーション。
メッセージレベルでは何も言っていない。その意味では無意味。でも、そこに厳然としてあるのは、コミュニケーションをとっているという事実性。
あぁ、こういうコミュニケーションて、最近してないなぁ、と思った。「同じこと言ってんじゃねぇ、お前はどう思うんだよっ」とついついメッセージレベルでの意味を求めてしまう傾向に、今はあると思う。
人がこの映画に癒されたり、和んだりするのであるとすれば、それはメッセージレベルの意味を求めない、別次元でのコミュニケーションがあり得るのだということを提示しているからではないだろうか。
物語は、奥さんに先立たれた初老の男性(笠智衆)が一人娘(岩下志麻)をお嫁に出す話し。
今まで奥さんの不在を埋め合わせてくれていた娘のありがたさと、そうは言ってもいつまでもお嫁に出さないわけにはいけないという現実との間で、揺れる父親。
娘の結婚式の後、一人立ち寄った馴染みのバーで、マダム(岸田今日子)に「今日はお葬式ですか?」となにげなく聞かれたときの一言。
「ま、まぁ、そんなようなものです…」。
このシーン、この一言だけで、娘を嫁に出す父親の思いが全て凝縮されているような気がしてならなかった。
全く個人的な話になってしまって申し訳ないが、私にはこんな経験がある。
私には姉がいて、この姉が結婚することになり、旦那さんがうちの両親に挨拶に来た日(いわゆる「娘さんを下さい」というシチュエーションですね)。
父親は「世界が平和であることを今ほどありがたく思った日はないっ」との謎のコメントを発しつつ、快諾。
「おぉ、丸く収まったわい」と一同胸を撫で下ろしていたその夜。
なんのきなしに父親の部屋を訪ねると、薄暗い部屋の中で父親がひとり布団に横になりながら、涙を流して泣いていた。
その時はたしか、「明日俺一時間目から授業だから、朝駅まで車で送ってってよ」「あぁ、いいよ」みたいな会話をそっけなく交わしただけだったけど、あの一瞬だけは、忘れられない光景として、私の目に焼きついている。
父の涙を見たのも、父の弱そうな姿を見たのも、あの時が初めてだった。
映画のラスト、台所でひとり水を飲む笠智衆の背中と薄暗い部屋に横たわる父親の背中とがオーバーラップして、切なかった。
…ちなみに、小津作品がテレビで放送される際、何があろうと決まって見ていたのは、うちの父親でした…。
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