2007/01/03

好きだ、 <2005/日本>

好きだ、 <2005/日本>

★★★★★★☆☆☆☆ (6points)

奇跡の前半。蛇足の後半。 最後の最後で出ちゃった「色気」で全部台無し。

物語はこんな感じ。

どこにでもありそうな田舎で育った同級生2人(宮崎あおい・瑛太)。17才の2人はお互いに思いを抱えながらも、それを口に出せない。で、突然の別れ。17年後(お互い34才)偶然の再会(永作博美・西島秀俊)。お互い17年分のいろんな想いを抱えながらも、まだ言えない…。

ま、この映画、言えない一言はタイトルから既にネタばれしちゃってるんで書いてもいいか…。そう、「好きだ」の一言が言えない2人。17才では言えずに離れた。34才でもなかなか言えない…。そして、2人は?みたいな。

で、書いてて、再認識しましたが、「好きだ」が言えようが言えまいが、そんなことは正直わたしにとってはど~でもいいんです(だって今書いててちょっと照れましたもん…)。映画的な主題としても、そんなことが主題じゃないでしょ(と思う、思いたい)。だってさ、仮に17年後に「好きだ」が言えたとする。そうだとしても、「だから?」でしょ、正直…。「あ、そう」でしょ、もっと言うと。

じゃあ、主題は何なのかと言うと、これ完全にわたしの主観ですが、「間」なんだと思うんですよね。2人の会話の「間」や2人の間の空間的な距離感。2人が「好きだ」を言えるかどうかなんてただのおまけ(ふりかけみたいなもん)で、この映画はただ単純にその「間」をお客さんに観てもらうことだけが主眼の映画なんだ、と、まぁ、こう、勝手に思って観てました。

そういう(超自分勝手な)視点で観てるとね、特に前半はすごいですよ。いや、本当にすごい。びっくりした。ちなみにわたしは自分がすごいと思うものに遭遇した時に背筋が寒くなるという癖(?)を持っているので、その体感を基準に物事を判断してるところがあるのですが、前半はもう、ものっすごく寒かった…。

何がすごいってさ、

まず、微妙な距離で立つ2人。これがまあ、なんというか、言葉で表現しようとすると、「寄り添いそうで寄り添わない」(…)なんて本当に陳腐な言葉しか、語彙の少ないわたしには思い浮かばないんだけど、これが本当に絶妙の距離(ま、観て下さい)。しかも、舞台は土手の上。それを下から見上げるように撮る形なので、2人の背景はおっきな空。おっきな空にちっちゃな2人(ちなみに前半戦の背景は80%空です)。その距離感を見せたいがゆえに、この構図になったのだと、わたしは思う。この構図、奇跡です。しかも、その微妙な距離が唐突に縮められて…、まぁ、回りくどいのでそのまま言うと、土手でキスするわけですが、その時の「ふっ」って一瞬時間が止まったような感じ(あぁ、また表現が陳腐だ…)。告白しますが、わたし、その瞬間に「んぅぉ」と短く息のみましたよ…。しかも、声付きで。

そしてそんな2人がぽつぽつと、かつ、ぼそぼそと、しゃべる。これがまぁ~、リアルです。17才だったころの自分が好きな人としゃべってるの思い出すと(正確には思い出せないけど)、たしかにあんな感じだったんだろうなぁ、と思う。なんつうか、言葉の50%くらい「あぁ」とか「まぁ」とか「そぅ」とかで、相手の反応を考えすぎるあまり会話に不自然な間ができちゃって。若いころの自分を思い出して懐かしくなり…、なんて余裕はわたしにはまるでなく、ただただその会話のリアルさに、痺れました。

でだ。

後半…。

奇跡の前半を観せられただけに、実は、わたしの中ではこの映画は前半で終わっちゃってるので…、あとは全部、余計でした。たしかにいいところもあるんです。西島秀俊と永作博美がなんにもない暗い部屋で2人、会話を交わすシーンなんて、あぁ、17年前のあの「間」が今はこうなのねぇ、分かる分かる、と思った。一面、空だった背景が、今はこのがらんとした暗い部屋。窓の外は非常にありきたりななんでもない「東京」の風景。ちょい背筋が寒くなったりも、たしかに、した。※28才のわたしは”どちらかと言えば34才の2人に近いという端的な事実”に若干愕然ともしたが…笑。

でも、最後の最後で全てを台無しにするような出来事が起きちゃいます(これ書いたら観る気が起きなくなると思うので書きません)。

全部わたしの勝手なのかもしれないけど、映画の主題がいきなりそこで「好きだ」を言うっていうそんな詰まらないことに塗り替えられちゃう。おいおい、それはあくまで「ふりかけ」だったでしょぅ。もう一度、思い出せ。それはどうでもいい些細なことなんだって、この映画にとっては…。いや、一応、物語を完結させるために、どっかでそれ言わせてもいいよ。でも、それ言わせるためのフックとして、それ使っちゃダメでしょ~、いくらなんでも。

…たぶん、監督は、最後にどうしてもほんの少しのカタルシスが欲しかったのだと思う。ついつい色気出ちゃったのだと思う。いや、監督じゃなくて、映画の興行的な部分でそれを周りが無理に挿れさせたのかもしれぬ。でも、どっちにしてもそんな飛び道具使っちゃったら、この映画は、やっぱり「好きだ」をずっと言えずにいた2人が最後に「好きだ」と言えました、そして最後はちょっと感動的でした、ちゃんちゃん、ってことになっちゃうじゃんか!

ってことで、後半は蛇足。立つ鳥あとを濁しまくり。

※ちなみに今回色んなサイトのこの映画の評価を見てたら、多くの人が宮崎あおいを「アイドル女優」として見てたことに、おじさん、気付いた。「アイドル女優だと思って観てたら、意外と演技がうまくて驚いた」みたいな。それもこれも「NANA」の影響か!?「NANA」なんて気恥ずかしくて観るに観れないおじさんとしては、宮崎あおいは「ユリイカ」で奇跡の演技をしていた女の子の印象しかないので、今回の「好きだ、」でも「お~やっぱりすっげえうまいなぁ~」って印象でした。
※さらにちなみに、タイトルの最後に「、」を付けるのって、もうそろそろ寒くないですか?モーニング娘。から何年経ってると思ってるんでしょう…。DVDの特典映像で監督(石川寛)が、その「、」には意味があって、「好きだ」の後に何らかの言葉が続いていて…、みたいな説明をしてましたが、その説明がますます寒いです…。